氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第11号・・・


◆山寺説法◆J
 
  「見る」と「観る」
                                      桂谷寺住職  大 瀧 孝 雄

 京都にある有名な二つの私立大学が、幼稚園からの一貫教育として、競争して園児の取り合いをしているそうである。ランドセルなど文具は一流の製品、給食は一流ホテルと契約。至れり尽せりの条件を出して競っている。(テレビでやっていた)
 子どもは自分では選ばれないので、親のニーズをターゲットにしているのである。教育が「狂育」と言われて久しいが、今でもあまり変わっていないようである。

 よく知られているテストに「○肉○食」、「一○○中」、「腐っても○○」とあって、○○の中に文字を入れなさい。また、「いわばという言葉を使って短い文章を作りなさい」というのがある。
 いろんな答えがあり、「焼肉定食」や「一口最中」、「腐っても食う」など。また「いわばの陰からカニが出てきた」などというのもあるそうだ。(ある本に書いてあった)
 いろんな答えがあるのだから、こんなテストで○×をつけられ、点数をつけられてはたまらないだろう。

 現代社会は、テレビ、新聞をはじめ情報の洪水のようである。各地の台風被害の洪水、地震の津波、アメリカのハリケーンの洪水を想起する様相である。そして、人間の考え、価値観は多種多様。何が正しく、そうでないか判りにくい。また、他人のことにいちいちかまっておられない余裕のない生活に追われている。
 自分に係わりのあることや関心のあることだけに目を奪われ、それ以外のことには心を振り向けない。
 「こうなって欲しい」と欲にとらわれたり、「こうなるはずだ」などと思い込んでしまうと、その角度からしかものが見えなくなり、客観的に観ることができにくいのである。

 お葬式のあとで四十九日の日取りの相談のとき、「三月にまたがらないように住職さん、日にちを決めていただきたいのですが…」と言われてびっくりした。三月にまたがってはいけないということが決まっていると思い込んでいるようだ。
 仏教に係わる俗信やうわさ、習慣などについても思い込みでなく、よく観なければならないことがたくさんある。
 もっともこのごろは余裕のない忙しい生活だから、四十九日の日取りがどうなろうとかまっておられない現実でもあるようだが。
 ある評論家は「複雑な現象を見るとき、見かけの相関関係を因果関係と混同するな」、「主観的願望と客観的推論を区別せよ」と言っている。

 とはいっても、そんな難しいことではなく、実際の日常生活では、
・禁煙の 決意は  固いが 意志弱い
・痩せるお茶 飲んで  お菓子で 口直し
・とりあえず いちおう  だいたい なんとなく  (ある人の川柳より)
となるのである。
 しかし、それでもそれなりの緊張感をもって主体的に生きて行きたいものである。



◆日本仏教の聖地 比叡山◆ B
 日本仏教の聖地、日本文化の故郷として古くから親しまれてきた比叡山延暦寺。伝教大師最澄さまが山上に草庵を結ばれて以来、多くの名僧を生み出した霊峰は、開宗千二百年の今なお燦然ときらめいています。比叡山は大きく東塔、西塔、横川という三塔(三つの地域)に分けられ、これら地域の諸堂を総称して「延暦寺」といいます。今回は第三回目として、横川の諸堂を紹介します。

「奥比叡の静寂さを体験する聖域 横 川 地 域」
 比叡山の一番北に位置し、ひとしお霊峰の感のする横川地域は、比叡山の基礎を築いた第三代天台座主慈覚大師円仁(七九四〜八六四)により開かれました。写経や念仏、おみくじの発祥の地として知られ、後に鎌倉仏教の宗祖となった親鸞上人や日蓮聖人、道元禅師といった名僧もここで修行されました。また、平安の昔から現代に至るまで多くの文学作品の舞台ともなっています。

横川中堂
 横川地域の本堂で、嘉祥元年(八四八)、慈覚大師円仁によって建立されたものです。
 ご本尊は聖観音像と毘沙門天像の二尊が祀られていました。これは円仁が入唐求法の際、海上で嵐に遭遇したが、観音力を念じたところ毘沙門天が現れて救われたことに由来します。その後、慈恵大師良源が横川中堂を改修した際、新たに等身大の不動明王像が加えられました。現在の建物は昭和四十六年に再建された舞台造りと鮮やかな朱塗りの印象的なお堂で、新西国霊場十八番の札所です。

根本如法塔
 この塔は、慈覚大師円仁によって建てられました。視力の衰えが進み死期を予期した円仁は比叡山の北の地を開いて小堂を建て、念仏と写経の日々に入られました。これが横川の始まりだと言われています。しかし、修行の効により視力と体力を回復された円仁は、やがて世界的に有名な「入唐求法巡礼行記」執筆でも知られるように中国への留学という大業を果たされたのです。円仁が書写した法華経が納められた如法塔は、その霊験から写経の聖地として大切にされています。



元三大師堂
 第十八代天台座主慈恵大師良源(九一二〜九八五)の住坊であった定心坊を起源とします。毎年、春夏秋冬には学徒を集めてお経の講義を行ったので四季講堂とも呼ばれます。比叡山中興の祖と仰がれる良源は正月三日に入寂されたので元三大師と尊称されます。また「おみくじ」や「お漬け物」の創始者としても知られています。このお堂では、毎日欠かさず七座の修法が行われ、そのお勤めの厳格さを表現して「看勤地獄」として、比叡山三大地獄の一つに数えられています。




定 光 院
 元三大師堂の前から東北方向に坂を十五分程度歩いて下ると、日蓮修行の地、定光院に着きます。日蓮の在住当時は華光房と呼ばれ、境内には聖人の銅像が立っています。





恵 心 堂
 恵心僧都源信(九四二〜一〇一二)が建立した念仏
の根本道場で、三体の阿弥陀仏像があったといわれています。源信は日本浄土教の基礎を築かれた高僧です。門前には「念仏発祥の地」という石碑が建っています。


  
 
◆トピックス◆
「薬王山照仲寺 盛大に御開扉法要 併せて大師堂落慶も」

 春日町下三井庄の薬王山照仲寺において、十一月三日、本尊薬師如来御開扉法要並びに高祖天台智者大師をお祀りする大師堂落慶法要が盛大に執り行われた。 本尊薬師如来は、古来より秘仏として薬師堂に大切に祀られ、二十五年に一度盛大に開扉法要が行われてきた。今回は、平成十四年より四年間の歳月をかけて境内の整備と大師堂の再建に取り組み、その完成を待っての開扉ということで、昭和四十六年以来、実に三十五年ぶりの慶事となった。
 法要には、檀信徒や関係寺院・来賓寺院の僧侶、約百人が参列。
 最初に稚児行列が行われ、総代を先頭に稚児十五名や御詠歌衆をはじめ檀信徒が加わった。同寺到着後、再建された大師堂の落慶法要が営まれ、続く落慶式典では経過報告や工事関係者に対する感謝状贈呈などを行った。さらに場所を薬師堂に移してご本尊の開扉法要が営まれ、照仲寺は終日喜びに満ちあふれていた。

「鹿場常樂寺寄席を初開催!」
 春日町鹿場の常樂寺(板倉宥海住職)では、九月二十五日の夜に落語会が開催され、百名近くの聴衆が本堂いっぱいに詰めかけた。
 これは、落語家の桂文鹿さんが、自分の名前と同じ「鹿」の付く地名で「落語でめぐる鹿のまち」と題した落語会を開いていることが縁で実現したもの。
 当日は文鹿さんほか笑福
亭遊喬さん、林家卯三郎さんの噺家たちによる落語や小話に、夜更けまで笑いが絶えることはなかった。


  
 
◆仏教行事の解説◆―10―
◆節 分◆

 立春の前日を「節分」といいます。節分は、太陽の運行を基準にして一年を四つの季節に分けたときの分け目のことで、正確には節分は一年に四回あるのです。すなわち、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前日が節分です。しかし、一年の初めという意味から立春の前日だけが強調され、邪気を払う特別な日として扱われるようになりました。
 節分といえば、なんといっても豆まき。豆まきは新しい春の到来にあたり、わが身に降りかかる一切の災難を振り払い、健康を維持しながら平和な生活を営むことができるようにとの願いを込めた行事です。
 日本人は健康であることを「まめ」といい、また「魔を滅する=魔滅」の意味合いからも、健康の象徴である大豆の「豆」に語呂を合わせたと言われています。
 いくつかの寺院では、春の節分に「追儺式」といって、鬼や災いを祓い、新年に幸福を招く法要が営まれます。特に丹波では、二月十一日に山南町の常勝寺で行われている『鬼こそ』が有名です。



  

  
【寺院散歩11】
◆慈眼山  濟納寺◆  丹波市市島町上田721-5 高 見 智 秀 住職

 済納寺は、丹波の美しい稲水田の風景を眼下に見下ろすことのできる小高い丘の上に位置し、その「慈眼山」の山号のとおり、本尊の阿弥陀如来とともに人々の生活をいつも慈悲の眼で見守ってきました。

 創立年代は不肖ですが、元禄二年(一五九三)、実海和尚により中興されたとの記録から、開基は遙かに遡ると思われます。
 現在の本堂は、北に位置する天満宮の境内にたてられていた和光寺が明治三十三年に廃寺となった際、その本堂が移築されたものです。また、境内の薬師堂に安置されている秘仏観世音菩薩は、和光寺の本尊であり、古来よりその御利益により、多くの人々の信仰を集めてきました。



身近な仏教用語7】

◆一蓮托生(いちれんたくしょう)◆
  阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変わることを「往生」といいますが、これがどこから生まれてくるかというと、蓮の花の中から…ということになっています。しかも、一緒に死ねば同じ大蓮華の中に一緒に生まれることが出来るといいます。
 そこで、生死を共にすることを一蓮托生というようになり、特にこの世で添い遂げることの出来ない男女の最後の願掛けともなったようです。ただし、極楽浄土は男女の区別のない世界であることを道行きカップルは知っていたかどうか?。
 この一蓮托生、今ではあまりいい意味で用いられず、「こうなったら一蓮托生、なるようになれ」というように、半ばヤケクソに一同揃って運を天にまかせるときに使うことのほうが多いようですね。

    

 編集後記
平成十七年師走。今年も一年の締めくくりの月を迎え、何か心に慌しさも感じます。
 今月は、この一年の垢を落とす大掃除をしますが、心の大掃除をするということもとても大事なことです。この一年間一つも悪いことをしなかったという人は恐らくいないのではないでしょうか。大なり小なり人に迷惑をかけたり、何げなく使う言葉で知らず知らずのうちに人を傷つけ自分が悪かったことにも気づかない時もあります。また毎日動植物の命を奪い食事をします。このように私たちは人として生きることによって様々な罪や煩悩等を積み重ね、一年を過ごしているのです。そういう一年を省みて考える時間を家族みんなで持ちたいものです。