氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第13号・・・



◆山寺説法◆13

「食育を考える」濟納寺住職  高 見 智 秀


 先般、丹波市仏教徒大会において京都ノートルダム女子大学教授の鳥居本幸代さんによる「日本の生活文化と仏教」と題する講演を拝聴しました。その中で、「知育・徳育・体育」の基礎となるのは「食育」ではないでしょうかとの提言がなされ、共感致しました。

 食育」の意味について考えてみたいと思います。今日の日本は『飽食の時代』と評されています。一家揃って食卓を囲むのが困難な家庭が増えています。また食事をしながらテレビに熱中し、何を食したか後で思い出せない人が多いと言われます。まして、一日の出来事を省りみて家族団欒の一時を過ごすことなど極めて少なくなっています。

 このような状況にあっても、「いただきます」、「ごちそうさま」と手を合わせ、食することへの感謝の念を大切にしたいものです。皆さんのご家庭はいかがですか?。

 天台宗では、食前の言葉として、「われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によってこの清き食を受く。謹んで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず、その功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます」。食後の言葉として、「われ今この清き食をおわりて、心豊かに力身に充つ。願わくばこの心身を捧げて、己が業にいそしみ、誓って四恩に報い奉まつらん。ごちそうさまでした」。とお唱えいたします。

 「いただきますと手を合わす動作は宗教的行為ではないのか」、「バイキング料理で、食べ残しをお皿に山盛りにして席を立っても、お金を払っているのだから店から文句を言われる筋合いではない」などの言葉をどのように思われますか。

 手を合わす動作は「食材となる動植物の生命や多くの人のお陰でもっていただくことができる」という、自然・人間・社会への感謝を示す行為だと思います。「お金を払っているのだから何をしても勝手でしょ」と言わんばかりの行為をした大人の姿は、子供の目にはどのように写るのでしょうか。

 「一粒のお米も大切に」、「食べ残さないように」と日々口うるさく言っても、そんな光景が目に写れば瞬時にかき消される思いがします。「育てる」と言うことは、言葉や文字でもって教え、学ぶことも重要なことです。

 それと共に、日々の暮らしにおいて、親の姿、祖父母のしぐさを見聞きすることによって、自然と備わってくるものも大切な「しつけ」、つまり「育てる」ことではないでしょうか。ややもすると暮らしに追われる毎日であっても、あらためて考えてみたいものです。

註1・・・・「衆生」とは、一切の生きとし生けるもの。
註2・・・・「四恩」とは、天地万物の恩恵によって生かし、生かされている報恩の心で仰ぐ、天地・国土・父母・社会の慈恩のこと。




◆天台宗が開かれて千二百年◆

桓武天皇より天台宗に国家公認の僧侶養成を許可されたのが延暦25年(八〇六)1月26日。この日をもって日本天台宗の開宗日としています。そして本年は、開宗千二百年という大きな節目を迎えました。第6部ではこれを記念して、5月19日に総勢300余人で比叡山参拝を行いました。

■比叡のお山にお詣りして    蓮華寺檀徒 舟 川 美津子

 新緑の好季節、五月十九日、開宗千二百年を讃える旅。兵庫教区第六部檀信徒一行のバスは六時半に出発しました。
 車窓に映る木々の緑が、途中から降り出した雨にぬれて一層鮮やかに目に染み込んでくる思いでした。
 やがて比叡山に到着し、まず浄土院を参拝致しました。勅使門が八の字形に開かれていますが、私たちは横の通用門から入りました。春の落葉一つもなく掃き清められた白砂がこの上なく美しく、厳粛な感じに心打たれました。ここで、蓮華 寺速水ご住職さまの先達により般若心経をお唱え致しました。御廟に安らかに眠られている伝教大師最澄さまが、私たちを温かく迎えて下さっている様な雰囲気でございました。

 その後、阿弥陀堂にて先祖供養のための回向法要が厳かに行われました。
 次いで、大講堂にて記念撮影の後、根本中堂にお参りをさせていただきましたが、雨が一層激しくなり、お山全体が煙雨にかすみ、幽玄な視界が展開されてきました。こんな景色は初めてのことで、雨の巧妙とでも申しましょうか。

 さて、根本中堂は昨年十月十四日の御詠歌全国大会の折にもお参り致しましたが、お堂の中で千二百年間灯り続ける不滅の法灯に世界平和と人類の幸せをお祈りになっていられる伝教大師さまの御心を汲み取り、思わず合掌致しました。

 午後、下山の後は滋賀院門跡にて国の名園に指定のお庭と古い堂宇に心打たれました。続いて日吉大社に参拝し、一路帰途につきました。雨脚がさらにきつくなって参りましたが、これこそ混沌の世相に振りまかれた甘露の法水とも思われたことでした。

 悠久の歴史に堪えて不滅の光を放つ伝教大師さまのご遺徳を偲びつつ、多くの人々に支えられ生かされている自分自身の一日一日に感謝と謙虚さを忘れてはならないと、自らを省みる旅でございました。終わりに、色々とお世話下さった皆様に厚く御礼を申し上げます。


■開宗記念参拝に参加して   歌道寺檀徒 山 本 正 一

 五月十九日、兵庫教区第六部主催の天台宗開宗千二百年慶讃比叡山参拝に参加。A班・B班、計八台のバスが中国自動車道の赤松サービスエリアで結集し、八時に出発。私たちのバスは六号車で、常勝寺・安穏寺・歌道寺の三十九名が乗車しました。

 常勝寺住職様のご挨拶の中で、今回の六部の参加者が三百十一名と、大変大勢であること知らされました。バスは順調に進みましたが、比叡山有料道路の料金 所あたりから、霧か靄か…、前を行く七号車が見えないほどになりました。深山霊峰のたたずまいに、何か身が引き締まる思いが致しました。

 九時頃に山上に到着。降り始めた小雨の中、私たちA班は阿弥陀堂へ向かい、各家先祖・故人の回向法要にのぞみ、厳粛の中で焼香。 父ありて我が強さあり。 母ありて我が優しさあり。 父母の姿、いつも忘れら れず。いつも我が人生の 支えなり。

 大講堂で記念写真を撮った後、根本中堂へ。ご宝前ではA班全員で般若心経と回向文でご供養。この後、延暦寺の僧侶より、根本中堂には伝教大師さまが自ら刻まれた薬師如来さまが祀られている。仏前には不滅の法灯が千二百年間輝き続け、その仏像や法灯は、私たちの目の高さと同じで、人間は生まれながらにして仏性を持っていることを表している。今回の団体参拝は「あなたの中の仏(仏性)に会いに」をテーマに、自分自身の仏心に気付くことを目的としているとの法話を拝聴しました。

 新しくなった延暦寺会館で昼食後、西塔の浄土院を参拝。宗祖伝教大師さまの御廟前まで進み、全員で般若心経を読誦。ここ浄土院では、修行僧が伝教大師さまが生きておられるが如くお仕えし、清浄な環境を保つために砂の中のゴミまで水洗いして取り除くという気の遠くなる修行を十二年間もされているとのこと。私たちも、少しでもゴミを出さないようにすることを教えていただきました。

 この後、坂本の日吉大社や滋賀院門跡を参拝し、帰路につきました。途中、雨が大降りでしたが、春日に着く頃にはあがりました。

  
 
◆トピックス◆

小学・中学生がお寺の生活体験

 
■第16回「夏の集い」開催
 夏の恒例行事となりました丹波市の天台宗寺院主催による青少年研修会「夏の集い」を、7月24日から1泊2日で実施しました。

 今回の参加者は小学生が21名と、リーダー課程の中学生3名の合計24名。

 まず第一会場となった春日町鹿場の常樂寺(板倉宥海住職)に集い、開講式や法話・写経などを行いました。その後、第二会場となった市島町の妙高山山上にある神池寺(荒樋榮晋住職)に移動。早速、班ごとに分かれてカレー作りや飯盒炊爨に挑戦しました。

 また、夜は音楽療法士の義積美由紀さんによる「ふれあいコンサート」を行い、様々な楽器を使って即興の音楽を奏でるなど、楽しい一時となりました。

 さらに、翌日は座禅のほか赤木富美子さん指導による「手作り教室」で割れないシャボン玉を作るなど、様々な体験をし、有意義な2日間となったようです。

 参加者からは、次のような声が寄せられました。
 ◆春日・山本彩織さん(小5)の声
一番印象に残ったのは、ふれあいコンサートです。今まで見たこともない楽器ばかり。実際に触って音を出したり、歌ったり、踊ったり、本当に楽しかった。ちがう学校の友達もいっぱいできたし、来年も参加したいな。

 ◆山南・足立安成くん(小6)の声
三年間連続で参加したけど、やっぱり座禅は足が痛かった。今年はカレー作りが印象に残ってます。野菜を切って最初から作った。とてもおいしかった!。

  
 
◆仏教行事の解説12◆
 

護 摩
 阪神タイガースの金本選手が正月の恒例行事としている「護摩修行」をテレビで見た方もあるでしょう。お袈裟姿の金本選手が燃え盛る火柱の前で必死の形相で真言を唱えてます。強靭な精神力の修養と一年間の活躍を祈願しているのでしょう。

 「護摩」とは古代インド語「ホーマ」を漢字で音写した言葉で、「清らかな火を焚き、その火中に供物を捧げてご本尊さまを供養する」という意味です。焼く施し、つまり「焼施」または「梵施」と訳されます。

 元は古代インド(バラモン教)の宗教儀礼だったのですが、これが仏教に取り入れられ、特に密教の修行法として中国で盛んになり、伝教大師や弘法大師によって日本に伝えられました。

 外護摩と内護摩…護摩法要では護摩壇で護摩木が勢いよく燃やされますが、この護摩木は私たちの心の中にある「煩悩」を、燃え上がる炎は仏さまの悟りの「智慧」を表しています。つまり、仏さまの智慧の炎で、私たちの煩悩を焼き滅ぼしているのです。

 実際に護摩木を焚き火中に供物を投じて行う護摩を「外護摩」と言います。一方、自分自身を護摩壇にみたてて、心の中で焚く護摩を「内護摩」と言います。私達の欲望や悩み苦しみは全て己自身の心より生じてくるのです。ですから、心の中で護摩を焚き続けることが大切です。
  

  
【寺院散歩13】
 ◆大悲山 観音寺◆  丹波市青垣町惣持115 荒樋榮晋 兼務住職

 なにしおう ここにまします 観音は これや惣持の 菩薩なるべし

 青垣町唯一の天台宗寺院である観音寺は、法道仙人開基で、往時は大泊山善應寺といった。天正七年、織田信長の丹波攻略の際、羽柴秀吉の軍勢によって焼き払われたが、寛文六年(一六六六)恵信和尚により再開基。阿闍梨快保法印を中興の祖として大悲山観音寺となった。
 かつては大悲山の中腹に、村の鎮守社の胸腹神社とともにあったが、昭和四十九年に山麓の現在地に移して再建した。
 ご本尊として阿弥陀如来を祀るほか、十一面観世音菩薩をお祀りする観音堂がある。




仏教 Q&A D】


 ◆ 散華(さんげ)◆
 
 Q、ある法要できれいな花びらのようなものが撒かれていましたが、どのような意味があるのですか?

 A、寺院では、いろいろな法要を執り行うとき、仏様をお迎えする道場を清浄にして、諸々の仏様を讃歎し、供養するために花が撒かれます。これを「散華」といいます。教典には、仏様が説法をする際に、天から花が降ってくると説かれており、これは『天人が仏様を讃歎して花を降らせる』という意味なのです。

 大事なお客様などを接待する行事などの際、掃除をしたり、花を生けたりして部屋や会場をお飾りするのと同様に、心を込めて仏様やご先祖さまをお迎えし、供養するための大事な作法のひとつなのです。

    

 編集後記
虐待があったり、家庭内暴力があったりという事件が後を絶たちません。いつからこんなに子育てが下手になったのでしょうか。気持ちが通じ合わなくなったのでしょうか。

 今の現実だけに目を向けて、「今の親はなっていない」「今の子どもは何を考えているのか分からん」という声が聞こえてきます。誰かが悪くてこうなってしまったのではないと思います。みんながこの社会を作ったのです。
 我々宗教家も心のケアをしなければいけなかったのです。悩み、苦しみに救いの手を差し伸べずにほっておいた結果なのです。真摯に反省しなければなりません。同時に、地域の大人たちが、地域の子どもたちはみんなの子どもだという認識をもって関わろうではありませんか。子どもたちの周りにいい人間関係を作り見守っていこうではありませんか。子どもたちの心に必ず届くはずです。