氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第4号・・・



 自らの心を浄める

 「おーい、そこの物とってくれー」と二歳半の娘が母親に向かって言いました。この言葉を聞いたとき、妻はまず父親である私の顔が頭に浮かんだといいます。私が家の中でよく使っている言葉だったのです。娘は何時の間にか聞いているうちに覚えてしまったのでしょう。
 昔から「子どもは親の背中を見て育つ」といいますが、私たち大人が日常の生活で話している言葉や行っている仕草や行動をしっかり観察し吸収しているのだと痛感しました。人前で話しをする時も家庭内で会話する時も言葉使いや行動に気をつけなければならないと、深く反省しております。

 このようなことを思いながら、ある写経のことを思い出しました。京都のお寺で『七仏通戒偈』というお経を写経したことがあります。通常、写経といえば経題を入れて二七六文字の『般若心経』を書き
写すのですが、そのお寺では、四句十六文字の『諸悪莫作、諸善奉行、自浄其意、是諸仏教』というお経を書き写したのです。「すべての悪いことをなさず、善いことを行い、自らの心を浄めること、それが仏の教えである」という意味です。
 私たち大人の一人ひとりが、このお経の言葉を心に刻んで生活をしていくと、それを見ている子どもたちも健やかに育ち、誰もが幸福な社会を築けるのではないでしょうか。

 とは言え、たった十六文字の言葉を実行することの難しさは、如何なものでしょうか。誰もがそうそう「悪いことをしてやろう」と思ってはいない筈で、「できればしないでおこう」と考えている筈です。また、善い行いもそこそこにしているつもりです。しかし難しいのは「自らの心を浄める」ことなのです。浄めるためには、まず自分の心を見つめなければなりません。どんなに深く反省をしているつもりでも、それが自己中心的な考えの上に成り立っている時、本当の反省にはなり得ません。その位、厳しく自己を見つめる目を持ち、自らを律していこうとする時にこそ、心は洗われていくのではないでしょうか。

 この殺伐とした世の中で、少しでも宗教心、仏心をもって生活をすれば、必ず一点の光明が見え、世の中を光り輝かすことができると思います。


  

 特集 氷上郡の青少年が研修

 この夏、比叡山で行われた青少年研修会に、氷上郡の中学生が兵庫県の代表で参加。また郡内でも第十三回「夏の集い」を実施した。

比叡山研修に七名が参加
 第三十八回「天台青少年比叡山の集い」が八月四日から六日まで比叡山において開催され、氷上郡からも七名の中学生が参加し、全国から集った二百名の仲間と共に様々な活動を行い、生涯に残る思い出を胸に刻んだ。
 比叡山の集いは、日本仏教の母山である比叡山で千二百年間絶えることのない御教えや歴史にふれ、伝教大師が願われた国宝的人材養成を目指し昭和四十一年に始められた。
 八月四日、青少年たちは結団式に続いて延暦寺会館で班集会などを行った。初めは知らないもの同士でぎこちなかったが、夜のプレゼント交換の頃には緊張もほぐれ、和気あいあいの雰囲気。地域色豊かなプレゼントもあり、話しがはずんだ。

 翌五日は、朝五時半に起きて根本中堂の静寂な雰囲気の中で座禅止観や般若心経のお勤め。朝食に続いてのお授戒では、渡邊惠進天台座主猊下から仏さまの子として正しく生きる戒を授かった。
 午後の三塔巡拝では大きなお堂が幾つもある広い境内に、歴史と信仰の重みを感じていた。また、夜には毎年人気の営火があり、班それぞれに出し物を披露、全員の心が一つになった瞬間であった。
そして最終日、修了式ではお世話になったリーダーを前に泣き出してしまうたくさんの子どもたち。こみ上げてくる感情を隠すことなく、別れの時は姿が見えなくなるまで手を振りあっていた。


桂谷寺・神池寺に42名が集う
 八月十九日から二十日の二日間、「感謝の心ー自然とのふれあいの中で」をテーマに、氷上郡の天台宗寺院主催による青少年研修会第十三回「夏の集い」を実施し、四十二名の小中学生が参加した。
 第一会場となった桂谷寺(大瀧孝雄住職)で開講式と写経を行い、続いて第二会場の神池寺(荒樋榮晋住職)へ移動。まず飯盒炊飯を通じて食物の大切さや作る苦労を学び、食事後は八尾裕子さんによる「ふれあいコンサート」が行われ、子どもたちの元気な歌声が山々に響き渡った。 翌朝、眠い目をこすりながらも、朝のお勤めや座禅を体験。また、手作り教室として春日町の石田允夫さん指導のもと、焼き杉細工を体験。それぞれが個性的な作品を四苦八苦しながらも完成させた。
 短い日程ではあったが、仏様の教えを通じて命の大切さや心豊かな生き方を学び、参加者たちは充実した笑顔の中、無事下山した。



  
 
  仏教行事の解説 ―3― お 彼 岸


  春分・秋分の日を中心に、それぞれ七日間を『お彼岸』と呼んでいます。お彼岸は、昼と夜の長さが同じなのでお釈迦様の説かれた『中道(どちらにも偏らない)』の教えに通じます。また、太陽が真東から上り真西に沈むことから、西方の極楽浄土に最も近い日とされ、先祖しのび自己反省をする機会としてお墓参りなどをする習慣になりました。
 『彼岸』とは、昔のインド語の「パーラミター」を中国で「波羅蜜多」と音写し、「到彼岸」と訳して出来た言葉で、「物事が成し遂げられた世界」とか「苦悩や迷いのない澄みきった境地」、つまり「悟りの世界」を意味します。
 一方、『彼岸』の反対側、私たちが生きているこちら岸は『此岸』といい、迷いや苦悩に満ちた世界、またこうした心の状態を言います。この状態から脱却するには、自分自身で精進努力する以外に方法はありません。
 お釈迦様は、悟りの世界にたどりつく手だてとして「六波羅蜜」という六つの正しい努力、実践方法を示してくれました。

@布施…施しをすること
A持戒…いましめを守ること
B忍辱…耐えること
C精進…努力すること
D禅定…自己反省すること
E智慧…真理にもとづいた生き方をすること
をいいます。

 人間である以上、どんな人にでも常日頃から大切な心構えです。特に、お彼岸中は努力しようという訳です。全ての実践ができなくとも、一つでも二つでも、生活の中に生かしたいものです。



  

  山寺説法 C 無  量  寿 天台宗布教師 宮 崎 實 順

 ある町の商工会館の和室に「無量寿」と書いた扁額がかかっています。この会館が新築された時、地元選出の代議士が揮毫したもので、地域の拠点として末長く活用されることを願って書かれたものでしょう。めでたい祝いの言葉として受け取られていることは間違いありません。 「無量寿」とは「阿弥陀」の漢訳語です。竣工祝いの字句として「南無阿弥陀仏」と書けば少し抵抗があると思いますが「無量寿」と書けば何の違和感もないところが面白いと思います。

 量り知れない寿とは時間ではないでしょうか。人類が発生する以前から悠久の時間があったし、それから今日まで何百万年、人類が滅亡し地球が消滅するようなことがあっても時間は永久に途切れることはありません。これを久遠の弥陀といったのでしょう。孫悟空が筋斗雲に乗り、如意金箍棒を振るって縦横無尽に天空を飛びまわっても、所詮は仏さまの掌の中というのと同じで、私たちは阿弥陀さまの掌の中、慈悲の中でしか生きられません。「仏さまの慈悲に生かされている」ことを自覚することが仏教徒である証であります。



  

 広告1 天台宗全国一斉托鉢を実施します
 天台宗では毎年12月1日を「全国一斉托鉢の日」と定め、地球救援募金活動の一環として「地球へ慈愛(あい)の灯を!」をスローガンに、托鉢運動を展開しています。氷上郡では、来る11月29日に山南町・常勝寺と青垣町・観音寺の檀家様を中心に実施します。他の寺院の檀家様も是非共ご協力をお願い申し上げます。

 広告2 仏教徒としての生活を 檀信徒総授戒に参加しましょう
 天台宗では、開宗1200年を迎えて檀信徒総授戒を奨励しています。仏教徒としての生活の基本は、悪いことはせず、善い行いに努め、常に自らの心を磨いて行くことです。こうした生き方をするための指針が戒であり、誓いを立てる儀式が授戒会です。
 氷上郡内でも授戒会を催す予定です。期日や会場など詳細が決まりましたら、各寺院よりご案内申し上げます。是非共ご参加下さい。



  

 我が家は天台宗 第4話 最澄さまの決意

 日本の天台宗を開かれた最澄さま(幼名=広野)は、八世紀の中頃に近江国滋賀郡古市郷(現在の大津市)でお生まれになりました。父の百枝は地域を治める豪族の長で、中国の王族の末裔です。最澄さまは熱心な仏教信者であった父の影響で、幼少期から抜群の聡明さを発揮されたと言われています。

 十二歳で近江の国分寺に入り、唐僧・道?に師事した行表の弟子となって十五歳で得度をされます。そうして南都(奈良)に上って色々なお寺に学び二十歳の時に具足戒を受けられ(受戒)、正式な僧侶としてスタートされました。しかし、最澄さまはその時すでに大きな決心をされていたのです。

 当時の仏教の一大根拠地である南都に決然と背を向け、郷里の近江に戻られた後、比叡山に一人お入りになられてしまったのです。その時の心境は最澄さま自らがお書きになった『願文』に著されています。すなわち、深い自己反省と共に、仏道を極めるまでは決して比叡山を下りないとの固い決意を述べて山中で厳しい修行を始められました。



  

 寺院さんぽ ―C― 富貴山  永祐寺
氷上郡春日町東中1569番地
真田祐昌 住職
 富貴山永祐寺は「とうとしや 三尾の里の永祐寺 こぶし花咲く寺を訪ねて」と寺のご詠歌にも歌われるように、毎年春になると全山満開のこぶしの花に覆われる丹波の名山・三尾山麓に抱かれ、静かな佇まいを見せている。県道から南へ少し参道を登った高台にあり、寺からの眺望は絶景である。
 ご本尊は阿弥陀如来。また境内には六尺の観音石像がお祀され、近隣の信仰を集めている。
 また本堂両翼の間の欄間には、柏原の名工中井権次正貞作の「鶴と雁」がある。



   

 仏 教Q & A A

 Q.なぜ、お寺には○○山という山号がついているの?

 A.山号とは寺名に冠する称号で、元々は寺院が山中に建立された時代に所在を示す意味で付けられたと言われています。南都七大寺などの飛鳥・奈良時代に建立された寺は、平地に建てられたため山号がありません。
 日本天台宗は平地の奈良仏教に対し、山岳仏教として開宗されました。その後しばらく寺院は山岳に建てられることが多かったのですが、鎌倉時代以降は再び平地に建立することが増えました。しかし、寺院に山岳仏教の在り方を留めるものとして山号が与えられたと言われています。皆山御存寺でしたか?。



   

 編集後記
 今号では、この夏開催された二つの青少年研修を紹介しました。
 日頃の生活の中では体験できない規律ある生活や、生きる喜びとあらゆるものに生かされていることへの感謝、そして仲間づくりの大切さを学んでくれたことでしょう。いろいろと行事の多い二学期の生活の中で、この体験を思い出し頑張ってくれていることでしょう。 
 天台宗が進める「一隅を照らす運動」が目指すのは、平和で明るい社会、地球上の全てのものが共に生きることの出来る社会です。そのためには、心豊かな人づくりが最も大切です。伝教大師はそのような人を『国宝』と呼ばれています。国宝的人材が一人でも多く生まれることを願って青少年研修会を続けていきたいと思います。