氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第9号・・・


 【山寺説法 H 】
『因縁に生きる人生』歌道寺住職  旭 秀海

◎果は因縁によって起こる
 仏教は「縁」ということを大事にしております。仏教の根本となる教えの一つを「縁起説」といいます。この教えによれば、この世において雨が降り風が吹くのも、花が咲きやがて散るのも、すべて「因縁」によって起こるということです。
 例えば、ここに一粒のお米があります。これは「因」となるものです。私たちはこれを種として土壌に蒔きます。すると芽が出て来ます。これを苗として植えますと青々とした稲となり、空気中に酸素を出し、やがて秋には稲穂が出て多くのお米を収穫することができるのです。これはお米という果実です。仏教では、これを「果」といっております。
 「縁起説」によれば、この「果」はすべて「因縁」によって起こると説いています。まず「因」となる一粒のお米があり、多くの「縁」によって初めて「果」であるお米が収穫されることになるのです。これには多くの人々の労力を必要とします。それだけではなく何といっても太陽の光や多くの水、肥料などが必要です。
 「縁起」と言う字が「縁って起こる」であるように、この世におけるすべてのものは、原因となるものと「結果」をもたらす「縁」によって起こるのです。

◎「縁」を大切に
 近年、子どもの凶悪な犯罪が頻発しています。衝撃的なニュースが日本中を駆け巡り、家庭の在り方、学校教育の在り方、安全性、そして地域との関わり方等の論議が広がっております。核家族化や少子化による家族の規模の縮小等により、子育ての方法や子育ての知識が世代間で継承されにくくなっており、また都市化により地域における関わりも希薄になってきている中で、家庭内や地域社会での養育機能の低下と共に心の豊かさ、感謝する心なども無くなってきているのではないでしょうか。
 「十界互具」という仏教の人間観があります。十界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十の世界のことで、人間は誰でも仏さまのような心から鬼のような心まで持ち合わせているということです。仏さまの心になるか地獄・餓鬼・畜生の心になるかは、その人の人生における「縁」のなせる業です。「縁」とは、自分自身で作り出して行くものです。自分を取り巻く人々、親や兄弟、子どもや地域の方々など、多くの人たちとどう関わって行くかが大切なのです。また、大勢の人たちとの関わりの中で、私たちは生かされているということに気付かなければなりません。そういう人たちに最善を尽くすことによって、良い縁が生まれて来るのです。自分一人だけが良ければよいという利己主義は仏さまの教えからは最もかけ離れたものであり、お互いに助け合って感謝しながら生きて行かなければならないことを「因縁」という言葉で教えてくれているのです。



『日本仏教の聖地 比叡山 @』

 日本仏教の聖地、日本文化の故郷として古くから人々に親しまれてきた比叡山延暦寺。伝教大師最澄さまが山上に草庵を結んで以来、多くの名僧を生み出した霊峰は、開宗千二百年の今なお燦然ときらめいています。
 さて、比叡山には「延暦寺」という名のお堂はありません。比叡山は大きく東塔、西塔、横川という三塔(三つの地域)に分けられ、これら地域の諸堂を総称して延暦寺といいます。それぞれ地理的区分であると同時に、異なった趣と伝統を今に伝えています。今回より延暦寺の諸堂を三回に分けて紹介します。


◎一千二百年間続く不滅の法灯 東塔地域
 比叡山三塔の中心で、延暦寺発祥の地。比叡山の本堂ともいえる根本中堂をはじめ重要な堂塔が集まっています。

◎根本中堂
 国宝の根本中堂は延暦寺の総本堂です。伝教大師さまが自ら刻まれた薬師如来(秘仏)がまつられ、宝前には不滅の法灯が開創以来千二百年の時を越えて輝き続けています。参拝すると仏像や法灯が目の高さと同じで、これは人間は生まれながらにして仏となる力(仏性)を持ち合わせていることを表しています。


◎不滅の法灯
 根本中堂内陣にゆらめく法灯。最澄さまが一乗止観院を創建した際、火を鑽りだして本尊薬師如来に捧げたのが始まり。一五七一年(元亀二)九月十二日の織田信長の焼き討ちで一度は途絶えたものの、山形県の立石寺に分灯してあった法灯の火を移し今日まで絶やすことなく受け継がれています。


◎格 天 井
 総けやき創りの根本中堂の中陣にある格天井。格子ごとに描かれた花の絵は、再建時、諸大名が永遠に枯れない花として本尊薬師如来に献花したものです。


◎文 殊 楼             
   比叡山の総門として根本中堂正面の石段上にそびえる重層の楼門。八六一年(貞観三)、慈覚大師円仁が中国五台山の霊石を埋めて創建しました。現在の建物は一六四二年(寛永十九)の再建で、楼上には智恵第一の文殊菩薩がまつられています。










◎大 講 堂
 僧侶が法華経の講義を受けたり、お互いに問答をして勉強に励む学問修行の道場。本尊は大日如来がまつられ、比叡山で学び一宗の開祖となった法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などのご尊像が安置されています。大講堂前にある鐘は「開運平和の鐘」として参拝者に親しまれています。









◎戒 壇 院
 天台宗の僧侶が大乗戒(円頓戒)を授かる重要なお堂。伝教大師はこのお堂の創建に身命を捧げられ、入滅後七日目に天皇より建立の許可が下りました。現在の建物は江戸前期の再建で、釈迦如来座像と文殊菩薩、弥勒菩薩がまつられています。


◎法華総持院
法華総持院は東塔、灌頂堂、寂光堂の総称で、伝教大師により計画され、八六二年(貞観四)、慈覚大師円仁によって創建された天台密教の根本道場。織田信長の焼討後四百年、昭和六十二年に再建されました。また法華総持院と回廊でつながる阿弥陀堂は昭和十二年にできた先祖や故人を供養するお堂で、毎日回向法要が営まれています。


◎国 宝 殿
  延暦寺が所有する国宝・重要文化財のほか、全国各地で秘蔵されていた重要な宝物など、天台宗や比叡山のみならず、日本仏教の歴史と文化を語る上に欠かせない品々を一堂に集め、展示しています。



【お知らせ】
『比叡山総登山』第六部主事 神池寺 荒樋榮晋
 兵庫教区第六部檀信徒の皆様、平素は本山並びに菩提寺の護持に多大のご尽力をいただき、厚く御礼を申し上げます。
 ご案内の通り平成十八年に我が天台宗は開宗千二百年の佳辰の年を迎えます。本山では「あなたの中の 仏に会いに」をスローガンとして、開宗千二百年の記念行事が種々取り行われます。その行事の一環として、檀信徒の「比叡山総登山」が計画されており、我が兵庫教区第六部も、平成十八年五月中旬を目処に予定が組まれつつあります。
 いずれ各寺院よりご案内致しますので、どうぞその節にはよろしくご協力の程お願い申し上げます。



【仏教行事の解説 8】

『仏前結婚式』
 皆さんは、仏前結婚式があることをご存知でしょうか。日本で結婚式といえば神式によるものが主流ですが、キリスト教式のほか、宗教色を除外した人前式をされる方も最近は増えてきたようです。
 いずれにも共通する内容として、夫婦の誓いがあります。神式では神に、キリスト教式ではイエスさまに、人前式では親族や集まった人々に、仏式では仏さまやご先祖さまにと、対象こそ違いますが、誓いを立てる行為は同じです。
 では、仏式の特徴とは何でしょうか。まず、その結婚式が一生の契りに留まらず、生まれる前から始まり、来世にも及ぶ永遠の誓いであること。例えばキリスト教は「汝は死が二人を別つまで夫(妻)を愛しますか?」という牧師の質問で有名ですが、相手と出逢った時から亡くなるまでの誓いです。
 また、大きな特徴としては、結婚式自体が仏教の戒律を授かる儀式となっていることです。式の中で袈裟や念珠を授かり、仏教徒として二人が協力して社会に貢献することを誓います。
 このように仏式は厳粛で意義深い儀式です。もし興味がおありなら、菩提寺等にご相談されれば心やすく対応して下さることと思います。



【寺院さんぽ H】
『圓龍山  正福寺』丹波市春日町下三井庄621  荒 樋 昇 誠 住職

 正福寺は、春日運動公園の西側、高さ七十m程の独立した小さな丸い山の頂きに建っている。圓龍山の山号もそうした地形から付けたものか、この寺は地元の人たちから親しみを込めて「まる山」と呼ばれている。
 戦国時代は地元の豪族小田一族の居城であったが、明智の軍勢に破れた後、萬吉という大徳が祠を創建。寺として整備されたのは、さらに五十年後の延宝三年(一六七五)で了海という僧侶によると伝わる。
 本尊は釈迦牟尼如来。境内には阿弥陀堂や淡島明神社等が祀られ、椎林や銀杏の大樹に囲まれて寂として佇んでいる。



【身近な仏教用語 D】

『我慢(がまん)』

 今日では『我慢』という言葉は一般に良い意味で用いられています。「辛
抱する」「堪え忍ぶ」という意味ですね。
 しかし、本来はあまり好ましい意味の言葉ではありません。
 仏教では「自分が自分が」と思う利己的な心、自分自身に固執して心が高慢になり、人をあなどって自惚れる心を言います。しかし、よく考えてみると「辛抱する」「堪え忍ぶ」ということは、自分の中のそういう『我慢』に気付いてこそできること。ですから現在の『我慢しなさい』というお説教は『自分の我慢に気付きなさい』という意味なのでは?。



【編集後記】
 爽やかな五月になりました。学校や会社にも慣れてきたころですね。でも、何となく気が滅入って勉強や仕事に身が入らない、集中できないなどの症状の方はおられませんか?。新しい環境の変化についていけず、知らず知らずのうちに自分の殻の中に閉じこもりがちになることはありませんか。でも、この時期は自分を見つめなおすよい機会でもあります。あまり焦らないで、悲観的にならないようにしましょう。
 人間は「ひとのあいだ」と書くように、絶対に一人では、生きていけません。お互いに助け合いながら生きております。頼れるときには寄りかかり、頼られるときには受け止めてあげればよいのです。
 時には、肩の荷を降ろして気楽になりましょう。