108の鐘   
108の鐘
竹林夜話へようこそ。夜話を「広辞苑」で引いてみると、1、夜間にする談話。また、それを筆記した書物。よばなし。転じて、肩のこらない、軽い話し。2、禅家で、夜、修行のためにする訓話、とあります。
日頃私が、見たり聞いたり、思ったり感じたりしたことをぽつりぽつりお話してみたいと思います。よろしかったらお付き合い願います。



第9夜 ハスのお話し(ハスと神話)
第8夜 ハスのお話し(金子みすゞ編)
第7夜 ハスのお話し(その2)
第6夜 2003年新春
第5夜 ハスのお話し (その1)
第4夜 仏さんの視線
第3夜 仏教のエキス
第2夜 伝わらない真心と菩薩さま
第1夜 夜話のはじめにかえて


第9夜 ハスのお話し(ハスと神話)

 ハスは日本、中国、とりわけインドにおいて、ヨーロッパ文化圏でバラが占める象徴的役割をはるかに上回る重い意義を担っているのです。日本ではハスといえば仏教や極楽浄土を連想し、なんとなく抹香臭い、死後のイメージと結びついた花、と感じる人が多いかもしれません。
 しかし元来インドでは、エジプトのスイレンと同じく、ハスは生命発生の母胎と観じられていて、その観念は古バラモン教、さらに後のヒンドゥー教の神話の中に反映されているのです。


「世界蓮」の神話
 インドの最高神のひとりであるヴィシュヌは、原初の水の中で、大蛇を寝台として眠っていた。四千ユガ(宇宙世紀)の眠りの後、彼は創造の志を起こした。その意欲はハスの形(世界蓮=カーロ・パドマ)をとって彼の臍(へそ)から成長し、そのハスが開花するとそこにブラフマー(梵天=ぼんてん)が生じ、花の台(うてな)に座して天地万物を造化した。
 この壮大な世界連の神話において、ハスは生命発生いや世界創生の神秘的ポテンシャルをもつ原初の植物なのです。仏教芸術で仏が蓮華座(れんんげざ)に座し、また日本の信仰深い仏教徒が死後に浄土におもむいて「蓮の台に生まれる」ことを切に願った背景には、こうした古いインドの神話があるのです。

  スイレンも、ハスと同じく宗教や神話との結びつきが深く、古来から様々な文化の中にしばしば登場します。
 また、スイレンはアルカロイドを多く含み、古代エジプトやヤマ文明では、祭司が花を幻覚薬として用いたという記録があります。


第8夜 ハスのお話し(金子みすゞ編)

 童謡詩人 金子みすゞの有名な作品に「私と小鳥と鈴と」がありますね。
 紹介しますと、

    私が両手をひろげても、おそらはちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を早くは走れない。
  私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のようにたくさんの唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

 人権学習や啓発資料でもよく取り上げられています。

 さて、『阿弥陀経』というお経の中で、お浄土の荘厳の様子が述べられています。妙なる音楽、美しい鳥が飛び、天からは花びらが舞い、池にはハスが咲き誇っています。そのハスの様子を「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」と記されいます。

 お浄土の世界では、青いハスの花は青いままに輝き、黄色のハスの花は黄色いままに輝き・・・・。それぞれ違う色の花が、違うままにそれぞれが美しく輝いています。その輝きにおいて等しく尊いのです。

 私たちもそれぞれ違います。顔かたちもちがえば、能力もちがう。しかし、同じ人間として差は無い。等しく尊い存在です。

 しかし、私たちは少しでも自分が得をするように、人より上にランクされるように、差をつけたがります。それがあるいは、私たちの向上心の源かもしれないけれど・・・。しかし、そこに繰り広げられる(展開される)醜い競争は、まことに痛ましいものではないでしょうか。。違いを見つけては、人をいじめ・攻撃し差別する・・・。仏教では「地獄」と言います。

 それぞれ違ったままで相手を認め、それぞれを賞賛しあえる世界、それが、仏教でいう「浄土」なのです。。

 では、違ったままで相手を認めるとは、どういうことしょうか。我々人間は完全無欠の人はいません。そもそも、出来ることと出来ないことがあるのが人間のありようでではないでしょうか。その出来る特有の能力や可能性こそ、個性と言えます。 それぞれ、ちがった能力や個性を発揮することこそが、命を活用すること、「生きる」ということです。

 出来ることを通して、出来ないことを補い、出来ることによって欠けている能力を満たしてくるのが、縁のきずなに支えられている人間のあるべき姿ではないでしょうか。

「みんなちがって、みんないい」、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」から、それぞれが個性を発揮することによって、命はすばらしく輝いていくにちがいない。それが「生きる」ということだと思います。


 




第7夜 ハスのお話し(その2)

ハスの花は仏教のシンボルです。それは、ハスの花は、泥の中から出てくるのに、まったく汚れに染まっていません。もちろん、葉も茎も泥は付いていません。そして、泥の中にしっかりと根をおろしながら、きれいな花を咲かせるのです。

 仏教では、泥水を煩悩や迷いの世界、私たちの社会・日常を喩え、そのような中に於いて真理を悟られ人々に正しい生き方を説かれたお釈迦様をハスの花に喩えています。

 このことは、今自分のいる世界(場所・立場)から逃げ出して、別の所に理想を求めるのではなく、今いる場所・立場で精一杯励んで、なくてはならに人になる、その場で輝く人間になる、ことを教えているように思えます。
 
 伝教大師は、そのことを「一遇を照らす、これすなわち国宝なり」と示しておられます。一隅とは、隅っこではなく、自分の居場所のことです。その場、その状況において大切な人間、なくてはならない人間であれ。周りの人々明るく照らすような人になれと。そのような人材が国の宝ですと述べられています。

  すぐには出来ないかもしれないが、あきらめないことが大切です。すなわちたくましさが必要。がんばらなくてはと思うとしんどいので、あきらめず信念をもって続けているうちに、ふと気が付くと自分の足元が以前よりずっと明るくなっている。自分から発する光で、他人の笑顔が照らし出されているのを知る。そうした時に人生の本当の喜びを感じるのではないでしょうか。

 結果を直に求めてはいけません。そうすると不満や愚痴が生まれます。結果や評価は100年後にあるというたくましさと広く大らかな心持が肝心です。約2000年前の地層から発芽能力のあるハスの種子が発掘され、大賀蓮(おおがはす)として現在も栽培されています。そんなたくましさと他人への温かな配慮が今の社会に求められているように思います。

第6夜 2003年新春

あけましておめでとうございます。本年最初の更新です。今年はマメに更新することを目標に掲げました。

 今日は消防団の初出式でした。例年の如く大変寒い日で、式典の間、長靴を履く足の指が痛いくらいでした。けれども、黒い長靴に太陽が当たるとホッコリ温かく感じました。普段は何とも思いませんが、日光ってやはり素晴らしいなと一人で感動してしまいました。
 さて、正月にテレビで京都のとある料亭が紹介されていました。その料亭は、四季折々の食材を五里四方の野山に求め、その食材を使った料理を食することによって季節の移ろいを感じることができる、ということでした。

 その料亭では、開店以来、「自然食知足(自ずから然、食らうは足るを知る)」という軸を掛けていました。自然の野山に食材を求め、食する時は品の多少を選ばず。そのことは、“日常生活のなかに真実がある”ということに通ずるのだそうです。

 昨年、食品に関することで色々と事件や問題が多発しましたが、“食”という観点からも私達の生活には見直すべき点が多くあるように思いました。(平成15年1月4日)


第5夜 ハスのお話し (その1)

 3月の末に植え替えたハスは、今、浮葉(ふよう)を水面に浮かべています。ハスは、まず、浮葉で水深を確かめてから、1メートル以上になる長い葉柄をもつ水上葉を伸ばします。それが、おなじみの直径30〜50センチにもなる円形のハスの葉です。
 ハスは、その大きく優雅な花を鑑賞するために寺院、公園の池や堀に植えられて、各地にその名所がありますが、池のない小さな庭でも栽培・鑑賞することが出来ます。
 ホームセンターなどによく置いてある衣装ケースで充分栽培ができ、立派な花も観賞できるのです。植え替えに際しても、衣装ケースごとひっくり返えせば簡単に作業ができます。
 私の場合、衣装ケースではなく、大き目の野菜用プランターを使用してえいます。その方が見た目もよいし丈夫です。見た目は、焼き杉の板で衣装ケースを覆って風流に見せる方法をとっておられる方もありますが。
 さて、ハスは古い時代から人間とかかわりが深い植物です。特にハスの花は仏教では「蓮華 」とよばれ、仏陀の誕生を飾った花とされています。仏典には、白、赤、青、黄色の蓮華が登場しますが、青色の花をつけるハスはなく、また東洋では黄色のハスは分布していないので、「蓮華」といってもハスだけでなくスイレンも含んでいるようです。
 日本では仏花として寺院での法要や葬儀などに用いられますが、インドとスリランカではハスは国花であり、めでたい花として結婚式で飾られるそうです。
  ハスが日本に自生していたかどうかは意見の分かれるところですが、更新世(170万〜1万年前)の地層から果実の化石が発見されていることや、「大賀蓮」をはじめとする古代ハスや、各地に残っている地バスの存在、あるいはハスの古名ハチスが「万葉集」や「古事記」にも見られることなどから、かなり古い時代から日本にハスが存在していたことは確かなようです。

 つづく



第4夜 仏さんの視線

 ポピュラーな仏教語に「四苦八苦」というのがあります。
 人生の苦悩の根本原因である生・老・病・死を四苦いい、これに愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)の4つを加えて八苦といいます。
 老いの苦しみ、病気の苦しみ、死ぬ苦しみは言葉を聞いただけで分かるような気がしますが、生きる苦しみはどうでしょうか。色々なことを想像されるかもしれませんが、集約すると愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の4つになり、「四苦八苦」といいながら実は「四苦」ということになります。
 これらがなぜ苦しみかといえば、それは「思いどおり」にならないからです。老いも、病気も、死ぬことも「思いどおり」にはなりません。それを「思いどおり」にしようとするから苦になるのです。つまり、「なすがまま」、「あるがまま」の心境になれば苦は苦でなくなるのです。
 四苦の内、老・病・死は自分自身の問題です。生は他者との関わりの苦しみと言えます。愛別離苦(愛するものに別れる苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎むものと会わなければならない苦しみ)などは、まさにそのとおりです。
 職場での上司や同僚・後輩など、顔も見たくない様ないやな人間と日々仕事をしなくてはならないことは、怨憎会苦といえます。「どうしてあの人は・・・」と愚痴を言ってもどうにもなりません。自分とは違う他人なのだから。それを「思いどおり」にしようとすると、そこに「苦」が生じてきます。この世の中は残念ながら、自分と気の合う仲間ばかりでは出来ていません。
 思いどおりにならないことを思いどおりにしようとするから「苦」になる、ということを理解することにより、すぐさまいやな人間関係が良好になるという訳ではありません。なぜなら、相手があることですから。しかし、「苦」の道理を理解すれば、不平や不満・愚痴といものが少なくなり、相手のよい所が見えてくる可能性が高まります。それでいいのです。
注:理不尽な人間関係(差別や偏見)に対して不平や不満・愚痴を言わないということではあ  りません。



第3夜   仏教のエキス

 去る2月22日は聖徳太子の祥月命日、つまり亡くなられた日です。聖徳太子は日本仏教にとって極めて重要な人物で、いち早く仏教を受け入れ四天王寺を建立された、いわば日本仏教の生みの親ともいえる方です。
 587年、仏教の受容と皇位継承をめぐり蘇我氏と物部氏が対立し、聖徳太子は蘇我馬子と共に物部守屋らと戦いました。そのとき太子は、白膠木(ぬるで)の木で四天王像を造り、仏の加護を祈願されました。戦いに勝利した太子は593年難波の地に大規模な伽藍の造営を開始、それが日本仏法最初の官寺である四天王寺です。
 太子は四天王寺建立に当たって敬田、悲田、施薬、寮病の4つの院の制度を整えられました。これらは教育施設、社会福祉施設、薬局、病院といったものとして今日の社会に受け継がれています。
 聖徳太子は、深く仏教を信奉して仏教精神をもって人々を救済し国家の統治を期され、自らも深く仏教を学び講義をしたり注釈書を著されました。 太子は17条憲法を制定し、その第2条では「篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり・・・・・」と仏教精神によってよりよい社会の実現を目指されました。
 さて、仏・法・僧とはなにかというと、仏とはご先祖さんや先人・先輩のことです。法とは天地自然の道理や社会のルールのことです。僧とはお寺さんということではなく、サンスクリット語のサンガ(samgha)の音写の僧伽の略で、和合という意味です。すなわち合い仲良くすることです。
 実は、この仏・法・僧の3つの宝を大切にすることが仏教のエキスなのであり、その実践こそが菩薩道なのです。

 篤く三宝を敬う生活によって、あなたの日々の暮らしは豊かで味わい深いものとなり、人生の醍醐味がほのかに香ってくることでしょう。


第2夜  伝わらない真心と菩薩さま

先日、当山恒例の鬼こそがありまた。その時、境内の片隅でこんな出来事がありました。
鬼こそが行われる本堂は山のふもとから365段のゆるやかな石段を登つつめた所にあり、住職や寺族が生活をしている庫裏はその石段の概ね中間にあります。
私の6歳の長男と4歳の次男は、子守りに来てくれた妻の両親と共に鬼こそを見るために庫裏の前の石段から本堂に上がりました。本堂の周りの境内で鬼こそが始まるのを待っていた時、一緒にいた小学校2年生の従姉が自分の指から血が出ているのを次男に見せました。次男は「ちょっと待ってて」と言って石段を駆け下り、庫裏にいる母親に息を切らせながら事を告げ、傷テープをもらうと、また石段を登り従姉に渡しました。
夜、母親が「えらかったね」と次男をほめると、長男が「急にいなくらるから大変やったんや。」と強い口調で言いました。それを聞いた次男は「ちゃんと言うた・・・」と言って泣き出してしまいました。長男に聞くと、急に姿が見えなくなったので心配してみんなで探しまわったそうです。
この日の出来事を妻は次男の通う保育所の連絡帳に書きました。そして、次のような保母さんの返事が返ってきました。
「やさしや思いやりという気持ちはなかなか伝わりにくいものです。けれども一番大切にして欲しいと願うものでもあります。」
私達の日々の生活の中で、正直に相手を思う気持ちがうまく伝わらず誤解を生んだり、真心をこめて一生懸命やったことが反対の結果になったりしたことは、皆それぞれ経験のあることだと思います。
そんな時、悲しくいたたまれれない思いになります。また、もう二度とそんなことするものかと思うかもしれません。けれども、真心は自己を完成し、真に社会の中の一員として生きていくうえで忘れてはいけないものだた思います。
伝教大師は次のようなことばで真心の大切さを教えてくれています。
「悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」
私利私欲を捨て、相手の気持ちに共感することが出来る=真心を持ちつづけようとする人を仏教では゛菩薩゛と呼び、その実践を゛菩薩道゛と呼びます。
次男の行動は未熟ではあるけれども、小さな菩薩さまの誕生をうれしく思います。

ああ

第1夜  夜話のはじめにかえて

 私が比叡山で修行中のことですが、8月の初旬に「如法写経会」とう法会ありました。これは毎年行われて恒例の行事で、比叡山の僧侶と在家信者さんとが一緒に正しい作法に随って法華経を写経する法会です。

 ただお経を書き写すというのではなく、仏さまの名号を唱えながら礼拝をしてから写経を始めます。お経を一字書き写すことは、すなわち一体の仏さまを造ることである、とされています。
 この写経会は、山上で1泊ないし2泊します。そのため、私も宿院で写経会に出仕されている大僧正方のお給仕をしておりました。
 如法写経会に出仕されるのは、山(比叡山延暦寺)で長臈と呼ばれる大僧正が多く、気を使うことも多いのですが、法儀や教学のことから昔話しまでいろいろな話しを聞くことも出来ました。
 ある夜、台所の後片付けも終わり、そろそろ休もうかと思っていたところへ、一人の大僧正が出てこられました。大僧正はイスに腰掛けると、「写経夜話をはじめよか」と言われました。

 聞き手は私一人。台所の板間に正座して話しを聞きました。昼間の疲れからだんだん眠くなり、正座の足は痛くなってくるのと戦いながら話を聞きいたことがありました。
 夏とはいえ夜になると山上はひんやりとしてきます。静まり返った台所で虫の音を聞きながらの「写経夜話」は、私の修業中の貴重な経験として今も心に刻まれています。