108の鐘



 るかなるインドより万里の波涛を超えて渡来した法道仙人(大化年間、孝徳天皇の御代)は、七尾七谷の此の山に七堂伽藍を建て、寺運日増しに栄え、僧坊七十余りの一山地となりましたが、永保年間に出火し堂塔すべて灰燼に帰しました。

 
の後、泉州槙尾山の浄意上人が本堂および諸堂を建てましたが、天正三年十月三日、戦国動乱の兵乱により、全山ことごとく炎上し、のち当山の智光法印が再建に着手しましたが、工半ばにして遷化。

 
来、寺運なく、荒れるにまかせ、元禄十年(1697)ようやく良海法印が本堂を修復し、寺坊七舎のうち、慈眼、松林、普賢、蓮乗、宝樹の五ヶ院とし、寺運更に沈み遂に慈眼院のみとなり、明治に入っても尚風雪つよく、うらぶれの明け暮れでありました。

 
うつり、当山第十六世、実應法印の学徳秀れ、自ら、霜をふんで山林経営に粉骨し、入りては法灯を高くかかげて諸堂修復に粉身し、寺運、日を重ねてよみがえり、今日に至りました。

 
清く澄んで深く、千古の老杉は亭々として磴(とう)を覆ひ、梢をわたる風は野鳥の声をはこび、木漏れ日に映える青葉、若葉、蝉しぐれ、虫の宴、栗鼠(りす)に揺らぐ紅葉、冬ざれの石仏等四季の情趣に恵まれております。


仁王門と桜(その一) 仁王門と桜(その二)
秋の参道 雪の仁王門
雪の本堂(その一) 雪の本堂(その二)